「由」の字音をめぐるあれこれ -7-
IMGP4379a.jpg
*東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.08撮影)
*被写機体 JA8895/共立航空撮影所有/セスナ208キャラバン(Cessna 208 Caravan I)

昨日引用した『毛吹草』のみならず蕉門俳諧作品においても、一方には「醤油」に現在と同じショウユの読みを用いた例もあります。

 此夏もかなめをくゝる破扇      園風
  醤油ねさせてしばし月見る     猿雖


これは元禄四(1691)年に興行された歌仙「梅若菜その一」に見えるもので、付句に出る「醤油」は音数律の面から見てショウユと3音に読まれたことは明らかです。

 捨(すつ)る身も鬼の餌食の生肴(いきざかな)
  南無や酒樽醤油来迎        桃青


こちらは芭蕉の独吟付合に見える例。「桃青」の俳号を用いていた江戸市中居住時代の延宝六(1678)年に、岡村不卜(ふぼく)の編んだ俳諧集『江戸広小路』に採録されたものです。

地獄に落ちた人間を鬼が喰らうという凄惨な場景を詠んだ前句を鬼の酒盛の様子と読み替え、「生肴」を付所にその類縁語の「酒樽」「醤油」を用いた「物付(ものづけ)」の手法に従った付合です。「醤油来迎」とは聞き慣れない詞ですが、これは仏教語の「聖衆来迎(しょうじゅらいごう)」のショウジュをショウユともじったもので、当時の芭蕉作品にはこのような言葉遊びを主軸とする談林俳諧への傾倒ぶりが如実にうかがわれます。

なお、一昨日引用した「醤油の後は湯水に月すみて」もこれと同時期の芭蕉句ですが、こちらには「醤油」がショウユウの形で用いられていて、青年期の芭蕉個人の言語にもショウユ・ショウユウの両形が存在していたことを示しています。

このような例に基づけば、江戸初期の「醤油」の「油」にはユ・ユウの両音が併存しており、それはこの漢字の音符「由」に備わる呉音ユ・漢音ユウ両音の反映と考えることができます。 (この項終り)


08/02のツイートまとめ
twryossy

第三に限らず初折表では人名などの固有名詞は嫌われますが、ここのアラベスクは何にあたるのでしょうか。 RT @yuzuchan220423: 笠着22》03 アラベスク練習のおと軽やかに 阿紗 #kasagi ☆ アラベスク 第三には、そぐわないでしょうか?
08-02 07:47

【今日の季語1678】炎昼(えんちゅう):「夏真昼」の傍題でも。「炎」字を用いた晩夏の季語には「炎天」「炎暑」「炎日」などもあるがこちらは昭和期に作られた新しい季語。◆しぶしぶと打つ炎昼の大時計(藤井照子) #jhaiku #kigo
08-02 05:00

とびぃ
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「由」の字音をめぐるあれこれ -6-
IMGP4432.jpg
*東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.17撮影)
*被写機体 JA315G/国土地理院所有/セスナ208Bグランドキャラバン(Cessa 208B Grand Caravan)

昨日の記事に掲げた蕉門俳諧の付合に使用された「醤油」は、次に示す証例などから「ショウユウ(当時の表記ではシヤウユウ)」と4音に読まれたものと考えることができます。

正保二年(一六四五)頃に最初の刊行がなされた、松江重頼編『毛吹草(けふきぐさ)』という俳諧作法書があります。その巻三に収める「付合」と題する記事には、俳諧の付合に用いる語がイロハ順に掲げられていますが、次の各項にそれぞれ「醤油」の姿が見えます。

1)「と」の部に収める「土用」の項には、これに付けるにふさわしい詞として「虫拂(はらひ)」「御衣(ぞ)干」などの6語が掲げられています。その一つに「醤油醤作」という語を収め、「醤油」には「しやうゆう」、「醤」には「ひしほ」の読みが示されています。

2)「く」部「葛」の項には、その付合語として「袴」「汗瘡(あせぼ)」など6語を挙げ、その一つにあたる「醤油」に「しやうゆ」の読みが施されています、

3)「す」部「簾(すだれ)」の項には、付合語として「窓(まど)・乗物」の後に「醤油」を挙げ、これに「しやうゆう」の読みが示されています。

また巻四には諸国の名産品が国毎に掲げられていて、その中の「和泉」の国の条に「醤油溜」を収めてこれに「シヤウユウノタマリ」の読みが見えます。
(上記4例のかぎ括弧付き読み仮名は原文のまま)

これらの諸例によれば、当時の「醤油」には ショウユショウユウ の二通りの読みのあったことが知られます。(この項続く)


08/01のツイートまとめ
twryossy

ツイッター笠着百韻「人待ちて」の巻(途中経過)  #kasagi                    起首 2014.08.0101 人待ちて扇子遊ばす茶房かな       真葛(夏)02  黒髪の香を包む羅(うすもの)       宗海(夏)
08-01 06:26

笠着00》【参考】03は雑で大きく転じましょう。句末は「に・て・らん・もなし」などの形で留めるのが一般的です。初めての方は「笠着運用規約 http://t.co/HYnkdVyDpv」「笠着覚書 http://t.co/oa6PhaMTl7 」をご参照下さい。 #kasagi
08-01 06:17

笠着22》02 黒髪の香を包む羅(うすもの) 宗海(夏) 01 人待ちて扇子遊ばす茶房かな 真葛(夏) ☆候補6句の中から真葛さんの上掲句を頂戴し宗海がこれに脇を付けさせて頂きました。通巻22の巻名は発句にちなんで「人待ちて」の巻とします。 #kasagi
08-01 06:10

【今日の季語1677】暑気払(しょきばらい):「暑気下し」とも。本来は暑さに弱った体を癒やすための方策を講じることを指したがそれにかこつけた飲酒についていうことが多い。◆一丁の豆腐がありて暑気払(高澤良一) #jhaiku #kigo
08-01 05:00

笠着00》通巻第廿二の発句候補として、真葛・里代のお二人から都合6句が呈示されました。選定句とそれに付けた脇を本日中に発表しますので暫くお待ち下さい。連絡が遅れて失礼しました<(_ _)> #kasagi
08-01 04:51

とびぃ
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「由」の字音をめぐるあれこれ -5-
IMGP4411a.jpg*東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.17撮影)
*被写機体 JA32CA/新中央航空社所有/フェアチャイルド・ドルニエ228(Fairchild Dornier 228-212)

昨日の記事で触れたように、「由」を音符とする漢字の一つに「油」があり、現在ではもっぱら呉音ユがその字音として通用しています。ところが江戸期の俳諧などには、「醤油」の「油」に対して現在とは異なる読みを用いた形跡が残っています。

  海老ざこまじりに折節は鮒     信徳
 醤油の後は湯水に月すみて      桃青


これは延宝五(1677)年に興行された百韻「あら何共なや」の巻に見える付合。長句作者の「桃青」は芭蕉の青年当時に用いた俳号です。前句では活きたものとして詠まれた小魚を付句では料理の具材に見替え、その調味料に使われた醤油の辛さを和らげるのに白湯を飲んだということを詠んだものです。

 袖ぬらす染帷子の盆過て       嵐蘭
  月も侘しき醤油の粕        岱水
(たいすい)

こちらは元禄六(1693)年興行の歌仙「初茸や」に見える付合。付句は醤油醸造の現場に目を転じ、前句の述懐の気分を承けて、醤油を絞った粕が山積みにされて月光を浴びている侘びしげな場景を詠んでいます。

上の二つの付句に用いられた「醤油」は、これを現在のようにショウユ(当時はシャウユ)と読むと、桃青句の上五「醤油の」は4音、岱水(たいすい)句の下七「醤油の粕(かす)」は6音と、いずれも「字足らず」句になってしまいます。では両句の「醤油」はどう読まれたのでしょうか。(この項続く)


07/31のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1676】氷水(こおりみず):「夏氷」「かき氷」の傍題の他「氷金時」「みぞれ」など削った氷に添える甘味による個別名でも。暑さをしのぐ定番とも言うべき食物。◆浅草や昔のいろの氷水(鷹羽狩行) #jhaiku #kigo
07-31 05:00

とびぃ
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「由」の字音をめぐるあれこれ -4-
IMGP4273a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.08撮影)
*被写機体 JA4059/朝日航空所有/セスナ172P(Cessna 172P)

ここからは話題が「由」字から少々離れますが、根本にはこの字に関する問題があるので、前回までと同じ標題で話を続けることにします。

「由」に呉音ユと漢音ユウ(本来はイウ)の二つの字音が存在するという日本語特有の状況は、この字を構成要素として作られた漢字についても同様に見られるはずです。

例えば「」の字は、それが樹木であることを示す「意符」の「木」と、この語の発音を表す「音符」の「由」とを組み合わせて作られたもので、このような漢字の生成法は「形声」と呼ばれます。この字を用いた熟語の「柚子(ゆず)」には「柚」の呉音読みにあたるユの字音が残っていますが、一般には漢音ユウの読みが用いられます。

ところが「」は、それが液体であることを示す意符の「氵(三水)」と、字音を表す音符の「由」とを組み合わせて作られたものですから、「由」に備わるユ・ユウの二つの字音は「油」にも受け継がれたはずですが、現在ではこの字についてはもっぱら呉音読みのユのみが用いられ、ユウと読まれることはありません。

一方《うわぐすり》の意を表す「釉薬(ゆうやく)」という熟語に用いられる「」もこれらと同じ形声文字ですが、こちらは逆に漢音ユウの読みが通用しています。

このように、同じ音符を共有しながら読みの一定しない漢字集団は珍しくありません。ここに挙げた「柚・油・釉」はそのような例に該当する文字群にあたります。(この項続く)


07/30のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1675】夏茱萸(なつぐみ):「茱萸」は単独では晩秋の季語にあたるが、夏に実を付けるものをこの名で呼んで区別する。その形状から「俵茱萸(たわらぐみ)」とも。◆夏茱萸の滴るほどの赤さかな(三枝かずを) #jhaiku #kigo
07-30 05:00

とびぃ
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「由」の字音をめぐるあれこれ -3-
IMGP4551a.jpg
*東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.28撮影)
*被写機体 JA35CA/新中央航空社所有/フェアチャイルド・ドルニエ228(Fairchild Dornier 228-212)

yuisyo004.jpg「由」字を含む熟語「由緒」をユイショと読むようになったのは後世になってからのことで、初めからそうであったわけではありません。左の画像は、平安時代末期に成立した古辞書『色葉字類抄』(前田本)の写真複製版からのコピーです。この辞書は収録語彙をイロハ順に配列し、さらにそれぞれの部に意義分類が加えられています。ここには「イ」の部に収められた見出し字「由緒」の左下に「イウシヨ」の読み仮名が記されています。

また14世紀前半に成立したと見られる『源平盛衰記』巻十八にもこの漢語に上記と同じ「イウショ」の振り仮名が施されています(『日本国語大辞典・第二版』所載「ゆうしょ【由緒】」の項による)。

昨日の記事に示したように、「イウショ」のイウは「由」の漢音読みにあたるものですから、このような例に基づけば、「由緒」は初めからユイショの読みがなされていたのではなく、古くはイウショであったのが後に長音化してユウショに転じ、さらにそこからユイショへ再転したと考えることができます。

そのような変化は、遅くとも中世末期までには完了していたと見られます。次に掲げる画像は1603年にキリシタンが日本語学習のために編んだ『日葡辞書』の"Y"の部に収める記事で、そこにはローマ字書きでこの語が掲げられています(『邦訳日葡辞書』<岩波書店>による)。

yuisyo003.jpg

上に掲げる二項の中、前項は本編に収める記事、後項は翌年に追加された補遺編に見えるものです。前者は現代では「由緒ある家柄」などの形で用いられる語義にあたるもので、そのことに気付いた編者が追補の際に本来の語義にあたる後項の解説を加えたものと思われます。

いずれにしても、「由」がユイと読まれるのは「由緒」に限ったことで、これはこの熟語に起きた個別変化から生まれた和製字音というべきものです。なお、なぜそのような変化が起きたのかについてはまだ論考の手が及んでいません。(この項続く)


07/29のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1674】土用鰻(どよううなぎ):「鰻の日」の傍題でも。土用の丑の日に鰻を食する習慣は江戸安永期のころに始まるが、すでに万葉集にも夏痩に効くとする歌がある。◆うなぎ屋のうの字の長き土用かな(立石萌木) #jhaiku #kigo
07-29 05:00

とびぃ
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「由」の字音をめぐるあれこれ -2-
IMGP4555a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.28撮影)
*被写機体 JA35CA/新中央航空社所有/フェアチャイルド・ドルニエ228(Fairchild Dornier 228-212)

平仮名の「ゆ」も片仮名の「ユ」もともに「由」を字母として生まれたものです。この漢字はそのような仮名がまだ存在しなかった奈良時代以前の文献にも、「安由(アユ)《鮎》」「都由(ツユ)《露》」「由伎(ユキ)《雪》」などのように、ユの音を表す万葉仮名の代表格として多用されています。これらのことから、漢字が日本に初めて伝来した時代の「由」の字音は であったことが知られます。なお一般にこのような古代日本に流通していた漢字音を指すのに「呉音」という呼び名を用います。

さらに平安時代に入ると、中国に派遣された遣唐使によって、当時都が置かれていた長安地方の漢字音が新たに伝えられます。そのような字音は、上記の「呉音」に対して「漢音」と呼ばれます。昨日示した現代の「由」字の音読みの一つ ユウ がこれにあたるものです。なお当時の「由」の読みはイウで、それが後にユウに変化しました。これは和語「言ふ」の発音がイウからユウに転じたのと同様の長音化によって生じた変化です。

「由」字にユとユウの二つの読みがあるのは、中国語の古い字音とその後に伝来した新しい字音が共存して現代に至ったことから生まれた、日本漢字音の重層性を示す現象です。

ところで昨日挙げた「由」にはもう一つ ユイ という字音読みがあります。この読みについては、「由緒(ユイショ)」以外の熟語には使用されることのない点が注意されます。この背後にはどのような事情が隠れているのでしょうか。(この項続く)


07/28のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1673】蝉の殻(せみのから):「空蝉(うつせみ)」の傍題の一つで「蝉のもぬけ」などとも。蝉の幼虫が最後の脱皮で残した殻。樹皮に残るものも樹下に落ちたものも。◆蝉よりも生き長らへて蝉の殻(大木あまり) #jhaiku #kigo
07-28 05:00

とびぃ
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「由」の字音をめぐるあれこれ -1-
IMGP4503a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.24撮影)

これからしばらく標題に関する問題を雑記風に綴って行くことにします。

「由」の字は、目に見える物の形をかたどった「象形」と呼ばれる原理に従って作られたもので、本来は《底の深い酒壺》という具象的な意味を表す文字であったとされています。

それが、現在用いているような《よる・ちなむ》などの抽象的な字義を備えるに至ったのは、そのような意味を表す中国語の発音と、この字の発音がたまたま同じであったところから、この漢字をそのような意味を表すのに借り用いた結果、やがてそれが本来の字義を駆逐して主流を占めるようになったもので、こんな具合にすでに存在する同音字の字義を意図的に転用する手法は「仮借(かしゃ)」と呼ばれます。言語の世界では、このような「庇を貸して母屋を取られる」式の現象は、文字だけではなくさまざまの分野によく見られます。

そのような字源の問題とは別に、現代におけるこの字の音読みについて注意を向けてみましょう。「由」字を用いる現代日本語の熟語の中では、この字は次の三通りに読み分けられています。

 ユ   経由(ケイユ)・由来(ユライ)
 ユウ  自由(ジユウ)・理由(リユウ)
 ユイ  由緒(ユイショ)


どうしてこんなややこしいことになったのでしょうか。(この項続く)


07/27のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1672】夏雲雀(なつひばり):三春の「雲雀」に季字を冠して晩夏の季語としたもので夏羽に生え替わった時季の雲雀をいう。「練雲雀」が本題にあたるが作例は少ない。◆虹に啼き雲にうつろひ夏雲雀(飯田蛇笏) #jhaiku #kigo
07-27 05:00

とびぃ
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「馬を追う声」散録 -5-
IMGP4534a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.24撮影)
*被写機体 JA33CA/新中央航空社所有/フェアチャイルド・ドルニエ228(Fairchild Dornier 228-212)

万葉集巻十四・3451の歌の「吾(わ)は『そ』ともはじ」の「もはじ」については、これを「追(も)はじ」と解する立場とは別に、次のような解釈もなされています。それは『時代別国語大辞典 上代編』(三省堂)の「おふ【追・遂】」の項に【考】として載せる補足解説に見えるもので、そこには次のようにあります。

東歌の「愛カナしきが駒はたぐとも我ワはそとも波ハじ」(万三四五一)は、「そとも追オはじ」のオが脱落したもので、①の例である。
*筆者注:半角片仮名は辞典執筆者による振り仮名。「①」は語義解説番号で、《追う。追っ払う》の意とした項目を指す。

ここに言う「脱落」とは、古代日本語に見られる音韻的特徴の一つで、二つの母音が音列中に連接するのを避けるために、一方の母音が抜け落ちたり、二つの母音を別の一つの母音に変えたりする力が自動的にはたらいて生じる現象を指す用語です。

この解釈は、例歌の「そともはじ」を「そとも・追はじ」の短略形と見なすもので、原形のままでは「そとも」の末音節モと、これに続く「追はじ」の頭音節に同じ母音のオが連接することになるので、それを回避する力がはたらいて「追は」の頭音節オが前の「も」に吸収される形で「脱落」が生じたと解するものです。

後続する動詞「追は(じ)」の語幹にあたる「お」が消失する結果を招くこのような「脱落」は、言語運用の面から見れば、文意を損なう危険を伴いますが、古代日本語においては、母音連接を忌避する力の方がそれを凌ぐほど強かったということになります。この解釈には、口承によって受け継がれてきた東歌における音声言語の問題にも波及するものがあり、筆者はこの立場を支持したいと考える次第です。

以上、5回にわたって続けてきた標題に関する万葉集歌を巡る談義はこれにて終わりとさせて頂きます。


07/24のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1669】初茄子(はつなすび):「茄子」の傍題の一つ。別題の「茄子の花」が三夏にわたるのに対してこちらはそれが結実する時季を中心として晩夏の季に限定した。◆うれしさよ鬼灯ほどに初茄子(涼菟) #jhaiku #kigo
07-24 05:00

とびぃ
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「馬を追う声」散録 -4-
IMGP4403a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.17撮影)
*被写機体 JA315G/国土地理院所有/セスナ208Bグランドキャラバン(Cessa 208B Grand Caravan)

昨日までの話をさらに続けます。

《追う》の意を表す古代語(方言?)として「追(も)ふ」という語形を想定することは妥当でしょうか。仮にこれが後に「追(ぼ)う」の形を取って現代方言として伝わったものならば、それは語頭のマ行音がバ行音に転じた結果によることになります。

古代語のマ行音が平安時代以降バ行音に転じた例には次のようなものがあります。

 ウマラ(茨)  ⇒ ウバラ(別にイバラの形もあり後に語頭が脱落してバラに)
 キミ(黍)   ⇒ キビ
 シマシ(暫)  ⇒ シバシ
 シマラク(暫) ⇒ シバラク
 スマル(昴)  ⇒ スバル
 ヘミ(蛇)   ⇒ ヘビ
 ユマリ(尿)  ⇒ ユバリ(後にさらにイバリに)


このような変化は、音声学の面からはマ・バ行両音の子音が近似性の高い「唇音」である点にその原因を求めることができます。これに類する例は上記以外にも存在しますが、それらを含めていずれも母音に挟まれた形で語中に位置するマ行音がバ行音に転じている点に共通性が認められます。

これに対して、仮に「モフ(追)⇒ボフ(後にさらにボウに)」という変化を想定したとすると、こちらは語頭に立つマ行音を対象としている点が上掲諸例とは異なります。この観点から見ると、これを他の例と同列に扱うことにはいささか問題が残ります。(この項続く)


07/23のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1668】大暑(たいしょ):二十四節気の一つ。同季別題の「極暑」「猛暑」などが示すように、これから「立秋」までの十五日が一年でもっとも暑い時季にあたる。◆吊革に手首の入る大暑かな(高橋あゆみ) #jhaiku #kigo
07-23 05:00

とびぃ
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「馬を追う声」散録 -3-
IMGP4442a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.21撮影)
*被写機体 JA4188/IBEXアビエイション社所有/セスナ172P(Cessna 172P Skyhawk II )

一昨日の記事に引用した万葉歌の五句目「和波素登毛波自」が今回の標題に関わる中心部にあたります。

この万葉仮名表記部分を漢字・仮名に引用符を交えた形に書き替えると「吾(わ)は『そ』ともはじ」となります。この『そ』が一昨日の本項-1- の記事で触れた馬を追う声の「ソ」に相当するものであり、この歌ではそれを直接引用する形で表しているわけです。

昨日の本項-2- に掲げた歌の大意を示すくだりでは、やむなくこの「そ」を「シッシッ」と言い換えましたが、現代日本語には馬を追う時に出す声に引き当てる語がないために、こんな具合に何かを追い払う時に出す声で代用した次第です。それはともあれ、本例は万葉時代の人々が馬を追う時に「ソ」という声を発していたことを示す、その直接的な証拠にあたるものです。

ところでこの五句目にはこれとは別の問題も含まれています。日本古典文学大系『万葉集三』(岩波書店)では、上記の箇所を「吾(わ)はそと追(も)は」と訓み下しています(括弧内は振り仮名)。これは原文の「もは」を「追(も)ふ」という動詞の未然形と解したことを示すものです。

上記本文の頭注にはこの解釈を下した理由は示されていませんが、念のために『日本方言大辞典』(小学館)を参照してみると、そこには《追う。追いかける》の意を表す「ぼう【追】」という動詞を掲げ、東北・北海道各地を初め中国地方にまで及ぶ地域に分布している状況が示されています。

上記の訓みは、この「ぼう」に先行する古代東国方言として「もふ」の存在を想定し、その頭音モが後にボと交替して「ぼう」に転じたと解したことから生まれたもののように思われます。(この項続く)


07/22のツイートまとめ
twryossy

お労いありがとうございます。仰せのとおり実際の花期は今の時季よりは早いですね。 RT @Crockymom: 何時もありがとうございます!ジャスミンは今の季節じゃないですよね。…暑くなりますので御自愛下さいませね
07-22 05:26

【今日の季語1667:別記】中国からこの織物が伝来した平安期には、「羅」は「ら」と音読される《薄物》の一種を指す個別名であったが、のちにその総称としてこの字に「うすもの」の和訓が与えられることになった。 #jhaiku #kigo
07-22 05:01

【今日の季語1667】羅(うすもの):絽(ろ)、紗(しゃ)などの絹織物で仕立てた衣服。透き通るような薄さで肌触りもよく見た目にも涼しげで古くから盛夏の衣装として着用された。◆羅や欲捨ててより生き易き(古賀まり子) #jhaiku #kigo
07-22 05:00

とびぃ
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「馬を追う声」散録 -2-
IMGP4457a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.21撮影)
*被写機体:個人所有/JA28TM/パイパーPA28-181(Piper PA-28-181)

昨日引用した短歌を収める『万葉集』巻十四は「東歌(あずまうた)」と呼ばれる当時の東国地方に伝わる歌を集録した巻にあたります。それらのほとんどは古くから民間に口承されてきたもので、生活に密着した野趣のある作品が多く見られます。作者はもとよりすべて不明です。

昨日の歌には次のような内容が盛られています。

 左奈都良(さなつら)の岡に粟(あわ)を蒔いた、それを恋人の飼う馬が食べても、私はシッシッと
 追い払うことはあるまい。


歌の初めに「左奈都良」とあるのは地名にあたりますが、その所在は不明のために残念ながらこの歌が詠まれた地域を特定することはできません。

歌の四句目に「駒はたぐとも」とある「たぐ」は《飲み食いをする》の意を表す古語ですが、平安期以降の言語資料にはまったくその姿が見えないので、かなり早い時期に「食ふ」と「飲む」にその座を奪われて廃絶の憂き目を見るに至ったものと思われます。

このような東歌の中には東国各地の方言がよく残されているので、これもその一つではないかと思われるふしもあります。しかし、『万葉集』巻二・221の柿本人麿の歌にも「妻もあらば採(つ)みて多宜麻之(たげまし)」と用いた例が見られるので、中央でも使用された語であることは明らかです。

なおまた、上記の人麿歌に用いられた「たげ」によれば、これが助動詞「まし」に上接しているところから動詞の未然形にあたり、さらにその活用形式は「たげ・たぐ・たぐる」と活用する下二段型であったことも知られます。(この項続く)


07/21のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1666:別記】茉莉花の漢名は「素馨(そけい)」。「茉莉花」という名は、原産地のサンスクリット語でこの花を mallikā(マリカー)と呼んだところから出た音訳漢語と見られる。 #jhaiku #kigo
07-21 05:01

【今日の季語1666】茉莉花(まつりか):通称洋名「ジャスミン」の傍題も。インド原産の常緑低木で夏に香りの高い白い花を付ける。乾燥させた花は香料や茶に入れて用いる。◆茉莉花に帽子の鍔(つば)の触るるまで(西村和子) #jhaiku #kigo
07-21 05:00

とびぃ
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「馬を追う声」散録 -1-
IMGP4386a.jpg *東京・調布 PENTAX K-7+SIGMA 70-300mm f4-5.6 APO DG MACRO (2014.07.08撮影)

『万葉集』巻十三・3324番歌に、《よく磨かれた鏡》の意を表す「まそかがみ(真澄鏡)」という語の第二拍「ソ」を表すのに「追馬」の表記を用いた例があります。また同じ語に用いられる「ソ」を、単に「馬」の字だけで表した例も巻十一・2810、巻十二・2980、巻十三・3250に見ることができます。これらの例はいずれも古代の馬を追う声が「ソ」であったことを示しています。

ただし、このソを含む当時のサ行子音がどんな音であったかについては諸説があり、現在もなお定説を見ない状況に置かれていますが、ソの頭子音が現代の [s] のような「摩擦音」と異なるものであったことはほぼ確実です。そのことは上記の例に照らしただけでも理解できます。馬を追うのに現代のソのような柔らかい音を出したとは考えにくいからです。

ちなみに、「ソ」に「追馬」の漢字を用いるのは一種の文字遊びにあたるもので、このような万葉仮名表記は「戯書」と呼ばれます。「括(くく)りつつ」の「クク」を「八十一」と表記した例もその一つで、こちらには掛け算の「九九」が踏まえられていて、当時すでに現在と同じ九九の唱えが行われていたことを示しています。

上記は戯書の背後に隠された古代の馬を追う声に関する事例ですが、これとは別に、もっと直接的にそれを表した例もあります。

 左奈都良(さなつら)の岡に粟蒔き かなしきが駒はたぐとも 和波素登毛波自(わはそともはじ) (巻十四・3451)

初めの地名4字と歌末7字は原表記に読み仮名を添えて示し、他は漢字仮名交じり表記に翻字しました。(この項続く)


07/20のツイートまとめ
twryossy

【今日の季語1665】メロン:同季別題の「甜瓜(まくわうり)」の変種で「マスクメロン」「プリンスメロン」などの個別種名でも。冷やして食するのと涼しげな色が夏にふさわしい。◆新婚のすべて未知数メロン切る(品川鈴子) #jhaiku #kigo
07-20 05:00

とびぃ
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龍馬は「ピストル」を何と呼んだか -追補-
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*東京・国分寺 FUJIFILM X-E1 + NOKTON classic40mm F1.4 (S・C)

今からちょうど3年前、標記のタイトルで3回にわたるブログ記事を連載したことがあります(☞ こちらをご覧下さい)。

その折には、龍馬が姉に宛てた書簡の中でこの武器の名を「短銃」および「ピストヲル」と記し、前者には「タンポヲ」、後者には「たんぽふ」の注記を施していることを指摘し、この呼び名はともに「短砲」という漢語の仮名書きにあたると見られるものの、『日本国語大辞典』(小学館)および『大漢和辞典』(大修館)の両大辞典のいずれにもこのような漢語は載録されていないので、これは当時の新造語ではないかという私見を記しておきました。

しかしこの武具名は、幕末期よりもかなり以前から武家の間で使用されていたらしいことが今回判明しました。

次の画像は、上記のブログ記事を記憶して下さっていた「いわき文音」連衆の禿山氏からメールに添えて送られて来たものです。

短砲

これは武家屋敷で知られる秋田角館歴史村の青柳家資料館に保存されている武器の一つ。現物もさることながら、この展示札に記された「火縄式短砲」の文字が注意されます。

これによれば「短砲」というのは、"長物(ながもの)"と称される火縄銃を片手で操作できるように改造した銃を指す名称であったことが知られます。

つまり、龍馬の書簡で注釈的に用いられている「タンポヲ」「たんぽふ」という呼び名は、幕末に西洋から輸入された回転式拳銃を指す洋語「ビストヲル」および漢語「短銃」の一種の訳語として、以前からあった短い火縄銃を指す名称を借用したものと解すべきであろうと考えを改めた次第です。

ただしこのことを確定するには、上の画像に見える展示札の「短砲」が何らかの文献に基づく用語であることを明らかにしなければならず、その点についてはなお検証の余地が残されています。

ちなみにピストルに「拳銃」の漢訳語が用いられるようになるのは明治期以降のことで、龍馬の時代にはまだこの呼び名は存在しなかった可能性が高い。文献上では、西周の編んだ『五国対照兵語字書』<1881年刊>に、フランス語の Pistolet などに対して「拳銃」の訳語を用いているのが現段階ではもっとも早い例と見られています(『日本国語大辞典(第二版)』「けんじゅう【拳銃】」の項による)。
とびぃ
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字足らず句における「空拍」について
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*東京・国分寺市内 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

ツイッターに目下連載中の「今日の季語」、その本日の記事は次のようなものでした。

【今日の季語1108】歯固(はがため):年頭に鏡餅・するめ・木の実などの固いものを食べて長寿を願う行事。「齢」に通じる「歯」を固めるとした中国の風習が伝来したもの。◆歯固の歯一枚もなかりけり(一茶)

スケジュール予約送信の済んだ後、さらに次の二件の追記を発信しました。

【今日の季語1108:追記1】一茶句「歯一枚」の「枚」には前歯のような平たい歯の語感があるが実際は奥歯にも用いた。「諸君の歯は何枚あります。三十二枚、そうです。でその中四枚が門歯四枚が犬歯それから残りが臼歯と智歯です。」(宮沢賢治:ビジテリアン大祭)はその一例。

【今日の季語1108:追記2】「口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋めた二枚の奥歯と、研いだように磨減らした不揃の前歯とが、にわかに寒く光った。」(夏目漱石:門)からも同様のことが窺われる。歯に「本」の接尾辞を用いるようになったのは比較的新しいことであろう。


ところで上掲の一茶句「歯固の歯一枚もなかりけり」には、歯を「~枚」と数えることの例とは別の問題も含まれています。

実を言うとこの例句を見つけた折に、「字数」の面からは中七「歯一枚も」は六拍の"字足らず"にあたるので、ひょっとしたらこれは「歯の一枚も」の「の」を誤り伝えたものではあるまいかという疑いを発し、本句を収める一茶の句稿『八番日記』文政二年(1819)の条をあたって見たのですが、原句もこの句形に変わりはないことが確認されました。

そこで思い浮かんだのは、かつてこのブログで取り上げたことのある、中七が六拍で構成される高浜虚子の次の俳句のことでした(☞ 虚子句の「葉三片」について)。

 三つ食へば葉三片や桜餅   虚子

一茶句の「歯一枚」と虚子句の「葉三片」との間には、一拍語の「歯・葉」が助詞を伴わずにそれに続く数詞の主語となっている点に構文的な共通性が認められます。

このことについてはすでに上記ブログ記事で、一拍語の後には一拍分の休止を置いて読むのが自然であり、その休止を「空拍」として扱えば字足らずとするには当たらないのではないかという私見を加えました。

虚子句「ハ○サンペンヤ」と一茶句「ハ○イチマイモ」両句には、このような空拍が存在する点に共通性が認められ、上記の私見を支える新たな証例が加わったことになります。
とびぃ
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いわきの方言 -タンガク(続)-
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*東京・杉並区太田黒公園 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

今年の仕事初めとなる前回の続きです。

《手で舁(か)く》の意から出たと見られる東北・新潟方言タガクは、いわき方言では撥音が第二拍として加わり、さらに語末が濁音化したタンガグの形で実現します。

ガの前にンが加わるという前者の現象は、この地域のガの頭子音が英語の king における [ng] のように鼻に抜ける濁音(いわゆる鼻濁音)であるところに原因があると見ることができます。すなわち、本来は一拍であった'ガ'[nga] の鼻音要素が分離して撥音に転じた結果、二拍の 'ンガ' [n・nga] として発音されるに至ったものと解されます。

一方、語末のクがグに濁音化するのは、これもこの方言に見られる規則的現象で、例えば共通語のフ(服)はフに、ソ(底)はソに転じます。ただしこちらの濁音は鼻音性のない破裂音[g]として発音され、本来の濁音にあたる[ng]に対する弁別要素として機能します。

カキ《柿》とカギ《鍵》が異なる語であるという認識は、共通語では両語の第二拍における清濁の対立から生まれますが、いわき方言では鼻に抜けない破裂音[g]によるギと、鼻に抜ける鼻音[ng]ギの対立によってなされます。したがってこの地域の方言では、共通語においてすでに失われつつある鼻濁音が語義弁別の機能に支えられて今なおよく保存されています。

世上に少なからず流布する「濁る方言は汚い」などという認識は、皮膚感覚の域を出ない視野の狭さを露呈するものとしか言いようがありせん。
とびぃ
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いわきの方言 -タンガク-
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*東京・杉並区太田黒公園 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

いわきの方言に《持ち運ぶ・担ぐ》の意を表すタンガクという動詞があります。「材木を二人でタンガイデ来た」のように使います。

わが郷音では語尾のクが濁音化してタンガグになるので、その音便形に助詞の付いたタンガイ・テは、実際には上掲の例に見るようにその濁音性が後続の助詞「て」に移行してタンガイ・デの形で用いられます。

『日本方言大辞典』(小学館)によれば、この動詞は東北地方から新潟に及ぶ地域に分布しており、タガクタナクなどの形でも用いられることが知られます。

ところでこの方言はいかなる語にその源を発するものでしょうか。

上記の辞典には、見出し語を「たがく」としてそれに(「手舁く」か)という語源解が添えられています。これはこの語を「手(た)・舁(か)く」と分析したことを示すものです。ここで「『手舁く』か」と疑問を残して断定を避けたのは、タガクという語が確かに存在したことを示す文献例が見つかっていないことによるものと思われます。

「舁く」という動詞は、現代語ではこれを単独で用いることはほとんどありませんが、時代劇に登場する「駕籠舁(かごかき)」の名から知られるように《かつぐ》の意を表します。

またテ(手)の古形タが動詞に先行する複合語には、タグル(手繰)・タバサム(手挟)・タムク(手向)・タヲル(手折)などの例もあり、それぞれ《手を使って~する》の意に用いられる点にも共通性が認められます。

現段階ではこの語の存在を裏付ける文証は得られないものの、このような状況証拠に基づくならば、タンガクの語源を「手舁く」の古語に求めることにはけっして無理はないと考える次第です。
(この項続く)
とびぃ
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焼芋の異名「八里半」と「十三里」
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*東京・浅草 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

昨日は二の酉。好天に誘われて街歩きに出たついでに浅草鷲神社に立ち寄り、参詣の人で賑わう酉の市で下町の情緒を味わって来ました。

ところで目下ツイッターに連載中の「今日の季語」(#kigo) は「焼藷」。そこに次のような記事を載せました。

【今日の季語1059】焼芋・焼藷(やきいも):「石焼芋」などの傍題も。薩摩芋を皮のまま焼いて食する。江戸期には「栗(九里)」に近い味として「八里半」の異名で親しまれた。◆焼藷の釜の業火を街に引く(古舘曹人)

投稿後、この「八里半」の異名について、 @ochagashidouzo さんから、焼き芋の異名には「栗より(九里四里)美味い十三里」という成句もあるが、これは「八里半」より新しいのかというお尋ねがありました。

これについては、「八里半」が先でその後に「十三里」が出たとされている旨の回答をしておきましたが、その根拠を示さなかったので、ここでその欠を補っておくことにします。

江戸末期の天保二(1831)年に刊行された『宝暦現来集』という随筆に次の記事があります(括弧内は補読および注記)。

寛政五年(1793)の冬、本郷四丁目番家にて初(め)て八里半と云ふ行燈を出し、焼芋売(り)始(め)けり。… 其(の)後、小石川白山前町家にて十三里と云(ふ)行燈を出(し)候。是も亦右焼芋なり。

これより遅く、慶応元(1865)年に刊行された『俗事百工起源』という随筆にも、「八里半」看板の始まりを文化三、四(1806-07)年とする他はこれと大筋では一致する記事が見えるので、「八里半」が「十三里」に先行する焼芋の異名であったことは動かし難いと考えられます。
とびぃ
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「きりたんぽ」という名前 -2-
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*長野県・松本市内 RICOH GXR/A12 + MACROSWITAR 50mm f1.8

槍の先に付けるタンポに関する記事は、幕末に来日したJ・C・ヘボン(1815-1911)の編んだ和英辞典『和英語林集成』の初版(1867)にも次のように見えます。

 TAMPO,タンポ, A soft pad affixed to the point of a spear in the spear exercise.

上記の語釈に「槍の稽古で穂先に装着する柔らかい当て物」とあるのはまさしくこの防具のことで、これがもっとも古い例ならば、その語源をフランス語 Tampon に求める『大言海』の説にとって時期的な面から都合がよいのですが、日本側の文献にはすでにこれよりも半世紀も前に使用された例があります。

それは、文化六年(1809)年に江戸市村座で初演された鶴屋南北の作による歌舞伎『霊験曾我籬(れいげんそがのかみがき)』の序幕に見えるもので、目下のところではこれがタンポの初出例と見られます(『日本国語大辞典 第二版』による)。

 向うより細内(ほそない)、中間にて、たんぽ附きの稽古槍を担ぎ、

したがって、タンポがフランス語に語源を有するという大言海の説は、少なくとも上記の文化六年以前にこの語が日本に到来していたことを裏付ける証例がない限り、成立しがたいものと言わざるを得ません。

ちなみに、上記の和英辞典初版には次の記事も見えます。

 TAMPO,or TAMPOPO, タンポポ, 蒲公英, n. The dandelion.

幕末期まではタンポがタンポポの異名として用いられていたことを示すものです。なおこの記事は再版(1872)にもそのまま継承されますが、第三版(1886)においては 見出し語から TAMPO が削除されて、TAMPOPO のみを掲げるという改訂が加えられています。これはこの時代にタンポポを指すタンポがすでに耳遠い言葉になっていたことによる措置と見なすことができます。

ともあれ、槍に用いるタンポの名がこの草の絮(わた)との形態の類似によって名付けられ、それがさらにキリタンポに受け継がれたという命名説に私は従いたいと考える次第です。
(この項終り)
とびぃ
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「きりたんぽ」という名前 -1-
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*長野県信濃町柏原・小丸山公園一茶句碑「是かまあつひの栖か雪五尺 一茶」RICOH GXR/A12 + MACROSWITAR 50mm f1.8

鍋物の恋しい季節が近づいてきました。
10月18日のツィッター「今日の季語 #kigo」に、そのことにちなんで次のような記事を投稿しました。

【今日の季語1025】きりたんぽ:固めに炊いた新米をすりつぶし杉の串に巻き付けたものを炉火で焼いて野菜や鶏肉と鍋で煮て食する秋田郷土料理。「たんぽ餅」とも呼ばれる。◆とつぷりと窓が昏(く)れゐてきりたんぽ(角田独峰)

さらにそのタンポという呼び名について次の二つの別記を添えました。

【今日の季語1025:別記1】タンポとは槍の稽古で負傷を防ぐために綿を丸めて穂先を布や皮で包んだものの呼び名。この食物の姿がその形状に似ているところからこう呼ばれる。

【今日の季語1025:別記2】槍に用いるタンポの語源をそれがタンポポの絮(わた)の形に似ているところに求める説がある。その正否は定めがたいがこの草がタンポとも呼ばれたことは事実である。


ここで触れたタンポポの語源については、すでに当ブログの「蒲公英(たんぽぽ)」の話 -1-」 以下3回にわたって取り上げていますのでそちらをご参照下さい。

ところで上記ツイッターの記事では、字数の関係で「きりたんぽ」のタンポの語源を草のタンポポに求める説のみを紹介するにとどめましたが、これとは別に、西洋語に語源を求める説も一方にあります。

それは『大言海』に載るもので、大砲の砲口を塞ぐために用いる武具を指すフランス語の Tampon から出たとするもの。この語を風雲急を告げる幕末期頃に輸入されたものと見て、そこに出自を求めたものと見られます。
(この項続く)
とびぃ
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《平伏》の意を表すことば -6- 【追記アリ】
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 *東京・荒川区 SONY NEX3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

《蹲踞》の意を表すツクバウの交替形ツクバルには、第三拍バが同類の唇音マと交替したツクマルの形も存在します。『日国』「つくま・る【蹲】」の項には次の例が引用されています。

> つくまって坊さんの汚れた足袋を脱がさうとすると

これは泉鏡花『日本橋』(1914)に見える使用例です。またこれと並んで、第二拍が濁音化したツグマルの形も見られます。

> 日が暮れれば安穏な巣につぐまって寝るのだらう。

こちらは中勘助『鳥の物語』(1949)に用いられた例。

泉鏡花は金沢、中勘助は東京生まれの作家。これらの語形はつい最近まで存外広い地域に分布して使用されていたもののようです。

ちなみに、私の父方の祖母(いわき市神谷生まれ)も、《蹲踞》の意を表すのにツングマルという語形を用いていた記憶があります。そのことを確かめるべく同郷の旧友たちに問い合わせたところ、これを耳にしたり使用したことがあるという回答を得ました。なおこのツングマルのンはツグマルの第二拍が鼻音[ng]として発音されるところから生まれたものと見られます。

源流のツクバフに発した言葉の流れは、ツクバルからツクマル・ツグマルを経て、我が郷里言葉(さとことば)のツングマルにまで及んでいたことを確かめたところでこの項を閉じることにします。

追記】その後さらにネット検索によって次の盛岡・宮古方言の例を得ました。
> つっつぐまる  しゃがむ  (在京白堊三五会・盛岡方言辞典)
> つっつぐまる  小さくなって丸くなる姿勢 (みやこわが町宮古弁方言辞典に載っていない宮古弁辞典)

ともにツグマルの語頭に強調の接頭辞ツッを冠した語形と解することができます。


とびぃ
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《平伏》の意を表すことば -5-
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*東京・吉祥寺 RICOH GXR/A12 + SUPER-ANGULON 21mm f4.0

さきにこの項の-2-に引用した芭蕉句の例に見るように、《平伏》の意はハイを伴わないツクバウだけでも表すことができます。のみならずこの単独形には、ハイツクバウには見られない《うずくまる・しゃがむ》の意も備わっています(このことについては後述)。

これはツクバウの原義にあたるもので、《平伏》の意味は後から生まれたものと見られます。ツクバウの頭にハイを添えたのは、その《平伏》の意を強調するための特定化であったことになります。

これは、ツクバウの交替形にあたるツクバルについてもほぼ同様のことが認められます。次の2例は『日国』の「つくば・る【蹲】」の項に掲げるものです。

> つくばった噺は土へ何か書(き) (雑俳・柳樽-二<1761>)

> 道の傍に蹲踞(ツクバ)り居たる一人の宿無し (人情本・恩愛二葉草<1834>)

前の例は、路傍にしゃがみ込んで土の上に何かを書きながら話している人たちの姿を詠んだ「川柳」で、その話の込み入りぶりを表すのに「つくばった噺」という意表を突く修飾法を取ったところが面白い。ただしこれは音便形の例なので、基本形がツクバル・ツクバウのいずれにあたるかは、厳密には決められません。これに対して後の例はラ行動詞であることが明らかなのでツクバルの確例と見なすことができます。

ただし、ツクバルはこのように《蹲踞》の意を表しますが、その生みの親にあたるツクバウが《平伏》の意をも表し得たのに対して、ツクバルには単独でそのように用いられた例が見当たらず、その役割は複合形のハイツクバルが果たしてきたものと考えられます。

すなわち、ツクバルとハイツクバルの間には意味上の相補関係が認められます。その関係はこの動詞がラ行に転じた後に生じたものと解するのがよいでしょう。 (この項続く)
とびぃ
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《平伏》の意を表すことば -4-
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*東京・吉祥寺 RICOH GXR/A12 + SUPER-ANGULON 21mm f4.0

昨日引用した『夢酔独言』の24年後にあたる慶応三年(1867)に、横浜に滞在していたJ.C.ヘボンによって刊行された和英辞書『和英語林集成』の初版には、ハイツクバウ・ハイツクバルいずれの語も収録されていません。ところが明治五年(1872)に増補改訂が行われた再版には、後者が次のような語形で収められています。(『和英語林集成 初版・再版・三版対照総索引』(港の人)による)

ヘイツクバル

ちなみに、これにさらに大幅な改訂を施して明治十九年(1886)に刊行された三版では、上記の語義解説の後に "hito no mae ni -."(人の前にヘイツクバル)の用例が新たに加わったほかは、再版の記事がそのまま受け継がれて格別の差異は認められません。

ここに見るローマ字見出しは、この動詞がラ行に活用することを示すもので、当時はすでにハイツクバウよりもその交替形ハイツクバルの方が通用の形であったことを物語っています。

それとともにもう一つ注意されるのは、この動詞をハイツクバルではなくヘイツクバルとしている点です。これは、当時の口頭語において語頭のハイに含まれる[ai]が長音化して[he:]と発音されていたのを、この辞書の編者がヘイツクバルの語形で受けとめたことを示すものです。

これに加えて、その漢字表記を「平蹲踞」としている点にも興味深いものがあります。後二文字の「蹲踞」は《うずくまる・しゃがむ》の意を表す漢語で、これをツクバルの表記に用いたものですから格別の問題はありません。しかし語頭のヘイに「平」字を当てた点は注目に値します。

上記のとおり、このヘイはハイから転じたものですから、字義からいえば「這」が期待されるところ。そこに「平」の表記を用いたのは、その字音ヘイを借りた、一般に「宛字」と呼ばれる用字法にあたります。

なおその背後には、ハイツクバルが《平伏》の語義を持つところから、その点への類推がはたらいた結果、「平」をヘイに当てるにふさわしい漢字として選び取った、そのような事情があったであろうことは容易に推察できます。

オマエ(お前)がオメーの形を取るような連母音の長音化は、江戸言葉に顕著に見られる言語的特徴の一つですが、この辞書では一般にそのような"くずれた"語形をそのまま採ることはせず、本来の"あるべき"姿を見出しとしています。にもかかわらず、上記の一件については、口頭語としてのヘーツクバルの形がかかる民衆語源解に支えられて無修正のままに採用されたことを示す事例としても注目されます。 (この項続く)
とびぃ
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《平伏》の意を表すことば -3-
040.jpg *東京・上野 SONY NEX3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

以下に挙げる事例は、ハイツクバウハイツクバルに先行する語形であることをうかがわせるものです。

『時代別国語大辞典 室町時代編』(三省堂)には、「はひつくば・ふ【這蹲踞ふ】」の見出しと次の語義解説が示されています。

> 這うときの伏して四つんばいになる動作・姿勢を、ことさらに強調していう語。特に、権力に屈服して卑屈なまでにへつらうさまにいう。

その用例として掲げる三例の中から次の例を引用します。(括弧内の"="以下は筆者注)

> 人ハ身ヲ恭持ガヨキトバカリ心得テ、尊卑ヲ弁ヘズハイツクバウハ、帰テ(=かえって)己ガ恥辱也。(応永本論語抄学而

これに対して、もう一方の「はひつくばる」は立項されていません。もちろんそれだからといって、この語形が存在しなかったと見なすわけにはいきませんが、上記文献の成立した「応永」の年記が示す15世紀前半期には、この語形がまだ生まれていなかった可能性はかなり高いと思われます。

ハイツクバルが姿を現す時期については、『日本国語大辞典 第二版』(小学館)「つくば・る【蹲】」の項に引用する次の例が一つの参考資料になります。

> 荷物はあづけるから、急度(=きっと)受取りをよこせといったら、こまりおって、外に二、三人も出てはゐつくばり (夢酔独言<1843>)

この書の著者、勝小吉は勝海舟の父にあたる人物。本書には幕末の世相が活写されていますが、それのみならず言語資料としての価値も認められます。遅くともこの時期までにはこの動詞がワ行からラ行への交替を果たしていたことを示すものです。 (この項続く)
とびぃ
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《平伏》の意を表すことば -2-
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 *東京・浜田山 SONY NEX3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

芭蕉が江戸市中に移り住んで「桃青」の俳号を名乗っていた時期、延宝六年(1678)七月に二葉子という俳人の刊行した句集『江戸通り町』の中に次の発句が収められています。

 甲比丹もつくばはせけり君が春   桃青

「甲比丹」は長崎のオランダ商館長の称号にあたるカピタンの漢字表記。ちなみに当時はまだ半濁音表記が定着していなかった時期なので、この呼称は仮名で「かたん」と書かれることもあります。その商館長が毎年三月江戸に参上して将軍に拝謁を乞う慣わしがあったのを踏まえて、将軍の威勢は異国の人をも平伏させたと詠んで国威盛んな江戸の新春を謳歌した句です。

ここに「つくばはせ」とあるのは、《平伏する》意を表す動詞「つくばふ(蹲)」に使役の助動詞を添えたもの。この動詞が古くはハ行であったことを示す例にあたります。もちろん江戸期にはすでにワ行に転じていましたから、口頭語ではツクバウの形であったことは言うまでもありません。

茶室の入口などに低く据えられた手水鉢(ちょうずばち)はツクバイと呼ばれます。この鉢の水で手を洗う際に身をかがめるところから出た名称で、上記の動詞ツクバウの名詞形にあたるものです。

この動詞が「這ふ」と複合すれば「はひ・つくばふ」の形を取ることになりますから、その意を表す二つの動詞については、ハイツクバウが本来の形であり、ハイツクバルはそれから転じたものと見るのが妥当でしょう。 (この項続く)
とびぃ
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《平伏》の意を表すことば -1-
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*東京・浜田山 SONY NEX3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

春場所ももうすぐ千秋楽。その優勝争いの行方は混沌としていまだ予断を許しません。

昨日まで2敗を守って、1敗の白鵬・鶴竜とともに優勝候補圏内に留まっている力士の一人に日馬富士がいます。
この力士の制限時間前の仕切り姿は、両手を付いた後に体を前にのめらせながら土俵すれすれまで沈める、きわめて低い体勢を取ります。解説者がこの姿を「平蜘蛛(ひらぐも)」と称したのを聞いて、まことに的確な形容であると感じ入りました。

ところでこの語を「平蜘蛛のように」と比喩に用いると、人がはいつくばって謝る様子をいう意が生まれます。

取り組みを見ながら、その「はいつくばって」に思いを巡らせていると、この動詞の基本形にはハイツクバウハイツクバルの両形が存在することに気づきました。

これをご覧のあなたは、そのどちらの語形を用いますか? (この項続く)
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「あいまう」という新しい動詞
002_20120321110353.jpg *東京・浜田山 SONY NEX3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

あるカメラ店が開いているサイトの試写レポートのページに次のような惹句が載っていました。

> 硬柔あいまう描写力

この「あいまう」に目が留まりました。これはおそらく、一般には「あいまって」の形で用いられる副詞に替えて、ここから動詞を抽出して使用したもので、この文脈に即して言えば、「(レンズの)硬さと柔らかさの味があいまって(見事な)描写力を発揮している」という内容を表そうとしたものと見受けられます。

「あいまって」という表現は、《互いに》の意を表す「あい(相)」と《期待する》意を表す動詞「俟(ま)つ」とが結び付いて副詞化したもので、二つ以上の事柄がいっしょになってある結果をもたらす意を表すのに用いられますが、この動詞を独立させて使用することはまったくと言ってよいほど例がありません。本例はその点できわめて珍しい用法にあたりますが、それならば、すでに答を示したように上掲の例文は「あいまつ」としなければなりません。

それでは、なぜこのような「あいまう」という"幽霊語"が現れたのでしょうか。

それは、「(あい)まって」という音便形には、「待って」から「待つ」に通じるタ行への路とは別に、「舞って」から「舞う」へ向かうのと同じワ行への回路も通じているために、これに惑わされて"あらぬ"路に踏み込んだ結果と解するのがよいでしょう。

本例は、その正否とは別に、すでにこのブログで最近取り上げたシナウとシナルの交替と同じく、音便形を契機とする活用行の変化が起こることを示す、その一つの例と見ることもできます。
とびぃ
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梅咲きぬ
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*東京・国分寺 RICOH GXR/A12 + SUPER ROKKOR 45mm f2.8

 梅咲きぬどれがむめやらうめぢややら    蕪村

今日から画像サイズを少し大きめにしてお目にかけることにします。
手入れもされずに伸び放題になっている隣家の庭の梅がようやく開きはじめました。
さは言え、野趣のある梅もそれはそれでめでたいものです。
今年の冬はことのほか寒く、当地では彼岸近くにようやくこのような風景に接することができました。
本格的な春の暖かさになるのはまだ先のことのようです。

ちなみに上掲の蕪村句には次のような前書きが添えられています。

 あらむつかしの仮名遣やな 字儀に害あらずんば アヽまゝよ

「むめ」「うめ」の仮名遣いをめぐる、本居宣長と上田秋成の論争への揶揄を込めた作であることを示すものですが、そこには目を向けなくとも、梅に対するほのかな俳諧味も感じられて好きな句です。
とびぃ
日本語
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シナウからシナルへ -7-
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*東京・台東区 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

昨日の記事で、シナウとシナルの交替にはその音便形が深く関わっていたことについて述べました。このことに関して、触れておきたいことがもう一つあります。

この項の第一回にあたる3月8日の記事に引用した『日葡辞書』シナウの項には、この動詞の活用として「シナイ、シナウ、シナゥタ」の三形が示されていました。ここで注目すべきは、"過去形"にあたる第三の形を促音便形シナッ(タ)ではなくウ音便形シナゥ(タ)としている点です。

これはシナウに限らず、ハ行からワ行に転じた四段活用動詞一般について言えることですが、この辞書が当時の標準日本語とした畿内方言では、ここに見るように、ワ行四段動詞には促音便形ではなくウ音便形が用いられます。一方、ラ行四段活用動詞では、例えばタドルにおけるタドッ(タ)のように促音便形を用います。

このようにワ・ラ両行の音便形が異なる方言においては、二つの行の通い路となる音便形の経路が開かれていないため、上記のような交替は起きないはずです。

これに対して当時の東国方言では、現代語と同じくワ行四段動詞の音便形は促音の形を取ったことが文献の上で確認されています。したがって音便形を介したシナウからシナルへの交替は、関西方言においてではなく、このような文法的特徴を持つ東国方言の中で発生したと見なすのが妥当であろうと考えます。 (この項終り)
とびぃ
日本語
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シナウからシナルへ -6-
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*東京・台東区 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0

これまで見てきたような、ワ行からラ行への活用の交替はなぜ起きたのでしょうか。

ラ行の交替形を一方に持つ、シナウ・ヨソウ・オブウはいずれも口語のワ行五段活用動詞に属します。この活用には、その連用形語尾が促音化したシナッ(タ)・ヨソッ(タ)・オブッ(タ)の音便形があります。

一方、他のラ行五段活用動詞でも、カブル>カブッ(タ)、タドル>タドッ(タ)、ミノル>ミノッ(タ)などの例に見るように、ワ行と同じ促音便形が用いられます。

音便形は、一般にどの動詞においても他の活用形より使用頻度が高い傾向を示します。それはこの活用形が、タドッ(タ)、タドッ(テ)のように、過去のことを述べたり話を続けたりするのに用いられるところから、自然に出番が多くなるためです。

よく使われる音便形が二つの行に共通することはある事態を招く可能性があります。それを次のようなたとえ話に置き換えてみましょう。

ウ族に属するシナウという鳥がいて、過去の世界に飛び立つ時には「ッ」という寸詰まりの羽根に差し替わりますが、役目が済めば元のシナウの姿に戻ります。ところが別のル族もまたこれと同じ形をした羽根に差し替わるので、ある時それに惑わされたシナウが、このル族の群にまぎれこんだために、やがてそこに取り込まれて、シナルという別の姿に変わるという羽目に陥りました。

気の利かない寓話ではありますが、ワ行からラ行動詞への交替には音便形が重要な役割を担っていた、ということを言いたかった次第です。 (この項続く)
とびぃ
日本語
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シナウからシナルへ -5-
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*東京・台東区 SONY NEX-3 + MS-Optical Perar 28mm F4.0 

あるブログにこんな記事が載っていました。その一部を引用します。

> 10月6日の夕刊(4版14面)に「神奈川補選」の女性3候補の紹介記事があった。
その中に「畑野君枝氏」の記事中で『0歳だった長男を背中におぶりながら~』というくだりがある。
「おぶりながら」?……なんだこりゃ!
違和感を覚えるのは わたしだけだろうか。
それをいうなら「おぶいながら」(負ぶう)とか、「背負いながら」、または くだけた言い方をしたいならば、「おんぶしながら」ではないのか?

そしてこの筆者は記事の最後をこんな風に結んでいます。

> 若い者のことばに最近戸惑うことが多々あるが、この記者も若いのかな?
朝日の記者さんよ、『おぶりながら~』は正しい言い方なのかね。君でも貴社でもいいが、見解を聞きたいものだ。

言葉咎めに精を出されるお方は、とかくこんな風に居丈高な物言いをします。しかし「正しい言い方」という評価基準は頂けません。自分が違和感を覚えたからといって、相手の言葉をただちに誤りと決めつける姿勢には精神の硬直ぶりもほの見えています。

《幼児を背負う》意を表す方言には、オウ・オブ・カルウ・ショウなどさまざまの語形がありますが、オブルもその一つに含まれており、方言地図では主に北海道から東北北部地域にわたる分布が確認されます。

ただしこの語形には方言とばかりは言えないところもあります。『日国』「おぶる」の項には次の例が引用されています。

> 人の寝入ってる夜中にそこらを負(おぶ)り歩いてすかしながら (鈴木三重吉『桑の実』<1913>)

> ずるいのね、貴方、妾(わたし)にばっかりおぶらせて (長与善郎『竹沢先生と云ふ人』<1924-25>) 

上記二作家の出生地は、鈴木三重吉が広島、長与善郎が東京です。この辞書の語義解説がこの言葉を「『おぶう』の変化した語」とするように、広い地域に通用する俗な言い方と見るのがよいでしょう。少なくとも、初めに引いたブログ記事の筆者が勘ぐったような"近頃の若い者の使う誤った言葉"の類などでないことは明らかです。

その筆者が「正しい」とするオブウには、上掲の近代の例よりも古い江戸中期頃の文献例があることから、オブウが先行形でオブルはその交替形と見られます。したがってこのオブウ・オブルの間にも、シナウ・シナル、ヨソウ・ヨソルと同様の変化の方向が認められます。 (この項続く)
とびぃ
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