龍馬が使った「近頃」という言葉 【再追記アリ】
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4月27日から東京両国の江戸東京博物館で「2010年NHK大河ドラマ特別展『龍馬伝』」が始まりました。

龍馬の肖像を今に伝える「湿板写真」のオリジナルが最初の三日間だけ展示されるというので、二日目に見に行ってきました。雨の平日ということもあり、入館者は思ったほど多くはなく、もっとも関心の集まっていたその写真も順番待ち5分程度で目にすることができました。

龍馬自筆の書簡や刀剣類など、およそ180点の展示物には興味深い品が多く、ゆっくり見ると3時間はかかるほどの充実した内容です。

書状の読み下し文などの解説も懇切になされてはいますが、その中に一つだけ気付いた明らかな誤りがありました。

後に伏見の寺田屋で、伏見奉行配下の捕吏に襲われた龍馬の命を助けることになる長府藩士三吉慎蔵に宛てた、慶応三年(1867)二月十六日付書簡(展示作品番号140)の冒頭に次のようなくだりがあります。

この頃 出崎の土佐参政後藤庄次郎 近頃の人物にて候。

「後藤庄次郎」とあるのは後藤象二郎のことですが、その人物評にあたる「近頃の人物」という文言を、書状に添えられた会場の解説文では「最近の人物」と解釈しています。しかしこれは「まことにたいした人物」とでもすべきものです。

「ちかごろ」という言葉には、現代語と同じく《このごろ。さきごろ》の意も備わってはいますが、これはさらに転じて《このところ類を見ない》の意を表すことがあります。その場合には副詞、あるいは「の」を伴った連体修飾語として用いられます。次の例はその後者の用法にあたります。

其事にて候。近此(ちかごろ)のご芳志にて候 (謡曲・鉢木)

上記の龍馬書簡に出る「近頃の人物」という表現もこれと同じ使い方で、幕末にもまだこの用法が生きていたことを示しています。「最近の人物」などと解するのは正しくありません。

追記 2010.5.1 】このことを特別展会場の江戸東京博物館に電話で伝えたところ、説明文を早速訂正したい旨の回答がありました。上記の件は近日中に改められるものと思われます。

再追記 2010.5.20 】昨日、大相撲観戦の前に"龍馬伝"特別展を再度見学してきました。その際に上記の件が改められているかを確かめたところ、展示解説文にはまったく何の手も加えられずに誤りが放置されたまま。徒労感にとらわれました。電話口の対応などというものはその場限りのいい加減なものなんですね。

*撮影機材:RICOH GR-DIGITALⅡ 28mm f2.4
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「お玉杓子」の話 -補足-
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標題の話を終えた後に「杓子」に関するもう一つ別の資料を見つけましたので、ちなみにそれを付け加えておくことにします。

上記の画像は『絵巻物による 日本常民生活絵引』(平凡社)第五巻に収める「慕帰絵詞(ぼきえことば)」の中の一場面。寺院の台所で僧侶たちが食事をしている様子を描いたものです。

この画面左で汁の煮え加減を見ている若い僧侶の手にしているのが問題の「杓子」。ここでもまたこの厨房器具は柄の曲がった形に描かれています。

この絵巻は、親鸞上人の曾孫にあたる覚如という僧侶の伝記を描いたもの。藤原久信という絵師が他の絵師とともに発願し、覚如の没後十ヶ月にあたる観応二年(1351)十月三十日に完成を見た作品です。

したがってここに描かれているのは、南北朝のころの生活相と見ることができます。前回まで取り上げて来た江戸初期よりもさらに遙かに遡った時代の資料として興味深いものです。

とびぃ
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「お玉杓子」の話 -5- 【追記アリ】
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古くは「お多賀杓子」と呼ばれていた杓子の柄が曲がっていたことの証拠として、種彦はまた、安原貞室が明暦二年(1656)に編んだ俳諧撰集『玉海集』に収める次の付合を引いています。

  ゆがみなりにも寿命長かれ
 ねづよさはお多賀杓子の荒けづり   正式


前句の「ゆがみなりにも」には《まがりなりにも》の意と《ゆがんだ形ではあっても》の意が掛けられています。付句はそのことと前句の「寿命長かれ」の詞から、柄の曲がった杓子を延命長寿のお守りとして授ける多賀神社を思い起こして「お多賀杓子」を付句に用いたもの。ここからもこの食器の古い形状がうかがわれます。

これに加えて種彦はさらに一枚の古画を紹介しています。そのコピーを次に掲げます。

img153.jpgこの画に描かれた、現代でいう"おたま"に加えられた説明に「杓子(しやくし)なり」とあるように、かつての「お多賀杓子」は本来こんな形をしたものであったことが知られます。

柄の付け根がこんな具合に曲がっていたからこそ、杓子を定規にすることなどできない相談であったし、また蛙の子が尻尾をくねくねと動かして泳ぐ様子がこのものの形に似ていたことから、そこに連想がはたらき、食器の名前がそのままこの生き物の名前にも転用されるに至り、一方ではその呼び名が「お玉杓子」に転じた後もなお、両者がこの名を受け継いで現代に至ったというわけです。 (この項終り)


【追記 2010.05.07】 この記事をご覧になった しまゆかさん が、多賀神社で撮影した現在の"多賀杓子"画像をツィッター上にアップして下さいました。すでに古形とは異なる「杓子絵馬」に変わっています。 こちらからどうぞ。

*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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「お玉杓子」の話 -4-
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当面の「お玉杓子」から話が逸れますが、もう少し「杓子定規」の話題を拡げることにします。

前回取り上げた俳諧撰集よりもほぼ50年前にあたる1603年に、長崎で出版されたキリシタン文献『日葡辞書』の「ヂャウギ(定規)」の項にも、次の画像に見るように、この諺が用例として掲げられています。(『邦訳日葡辞書』<岩波書店>による)

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これはまさに痒いところに手の届くような語義解説。当時この諺がどのような意味に用いられていたかを直接知るのに絶好の資料です。

ところで「杓子定規」は、このような意味とは別に《出来そうにもないこと》の喩(たと)えにも用いられた形跡があります。

正保二年(1645)の成立とされる俳諧作法書『毛吹草(けふきぐさ)』巻二の中に、《世間で言い習わされていること》を意味する「世話」の題で、意味のよく似た諺を集めて並べ掲げたところがあり、そこに次の二つの諺が並んでいます。

 しやくし定木
 きねにつる


「きねにつる」とは「杵に弦」の意。月の中の兎が餅をつくのに使っているような、あのまっすぐな形をした杵に弓の弦を張る、という意味にあたります。これは実際にはできない相談ですから、そこから無理なことを指す喩えとして用いられるようになったものと思われます。

これと「しやくし定木(杓子定規)」が並んでいるのは、杓子を定規にするのもまた杵に弓弦を張るのと同様に無理なことだからです。なぜ無理かというと、それはすでに述べたように、この時代の杓子は柄の曲がったものであったから。ここからも当時の杓子の形をうかがうことができます。 (この項続く)

*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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「お玉杓子」の話 -3-
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台所用具の「お玉杓子」が「お多賀杓子」に語源を有することを唱えたのは、江戸末期の戯作者として知られる柳亭種彦です。彼は考証随筆『用捨箱』の中でこのことを述べています。以下、基本的には彼の説くところに拠りながらこれに新たな用例を加えつつ話を続けることにします。

昔の杓子はその柄がひどく曲がっていました。「杓子定規」という諺もこのことを踏まえたもので、本来の意味は《誤った基準によって他を律する》ことを指すものでした。

鶏冠井(かえでい)良徳の編んだ貞門俳諧撰集『崑山集』(慶安四年<1651>刊)には次の発句が収められています。

 ゆがむ枝(え)はしやくし定木か多賀の花  重治

この句は、ゆがんだ花の枝から「杓子定規」の諺を連想したものですが、その背後には当時の杓子の柄は曲がったものであったという事実が潜んでいます。

そのこととともに、句中に「多賀の花」とあるところも注目されます。「多賀」は前記の「多賀神社」のことですが、ここから、この神社のお守りとして出す杓子の柄が曲がっていたことも併せて知られます。 (この項続く)

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*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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「お玉杓子」の話 -2-
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オタマジャクシのオタマは、最初からそう呼ばれていたわけではありません。ここで話がいささか枝道に入ることをお許し下さい。

滋賀県に「お多賀さん」の愛称で親しまれている多賀大社があります。ここは伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の二神を祀り、『古事記』にもその名が記されるほどの古社で、延命のご利益を授けるとされる神社です。

この大社では古くからお守りとして杓子を授ける習わしがあり、その杓子は「お多賀杓子」と呼ばれていました。古くから杓子には神霊が宿るとされ、これを縁起物にする神社は現在でも各地にありますが、江戸の頃には特にここの杓子が有名であったところから、後にはその呼び名であるオタガジャクシが一般的に用いられ、やがてその語源が忘却されるにつれて、これを発音の類似からオタマジャクシと呼ぶようになったものと思われます。

その語形変化の背後では、杓子の頭の丸いことが、これを《お玉》と解釈する民間語源説に有利な要因としてはたらいていたことでしょう。 (この項続く)

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「お玉杓子」の話 -1-
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前回取り上げた「たんぽぽ」のように、はじめに命名されたものの名前が、後に他のものを指すようになった例は他にもあります。

「お玉杓子」はその一例。本来は汁などを椀によそう道具をこう呼んだのが、後に卵から孵った蛙の子を指す名称となったものですね。この名前はその後さらに連想が音楽に広がり、これと形の似た音符を指す呼び名にまで転じました。

ところで現代では、ご飯を盛る方はシャモジ、汁をよそうのはオタマジャクシと呼び分けていますが、本来は両者とも漢語で「杓子」と呼ばれる器物であったものが、使途によってそのように呼び分けられるに至ったものです。

シャモジというのは「杓子」の頭音のシャに《文字》を意味するモジを付けて作られた「女房詞」の一つです。こんな風にモジを付けて作られた詞には、例えば「ひもじい」の語源にあたるヒモジがあります。これは《空腹な状態》の意のヒダルイという古い形容詞の頭のヒにモジを付ける形で作られたもの。また、女性が腰に巻いたユモジもまた、ユマキ(湯巻)のユにモジを付けて出来た言葉です。

一方、オタマジャクシの名の方には明らかに「杓子」が含まれています。では、この呼び名の頭に付いた「オタマ」とは、そもそも何を意味する言葉だったのでしょうか。(この項続く)

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「蒲公英(たんぽぽ)」の話 -3-
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狂言師の大蔵虎明(とらあきら)によって寛永十九年(1642)に書写された「狂言之本(虎明本狂言」の中に、「じしやく(磁石)」という曲があります。遠江国から都見物に上った男が、大津坂本の市の店に並ぶ売り物の名前を述べ立てる台詞の中に、次のようなくだりがあります。

いや、是にしたゝかにうり物がある。やれやれ見事な事かな。(中略)いや是には、こま道具、かゞみ、べにおしろひ、(中略)おきやがりこぼし、たんほゝ、ふりつゞみ、さまざまの物がある。

ここに「こま道具」とあるのは、「細道具」つまり《こまごまとした日常用具》のことですが、その中に「おきやがりこぼし(起き上り小坊師)」「ふりつゞみ(振り鼓)」と並んで「たんほゝ」とあることが注意されます。前後が玩具の名であるところから、これもまた子どもの遊び道具の小さな鼓であることが知られます。

つまり「たんぽぽ」という名前は、それが子どものおもちゃであったからこそ、それにふさわしく擬音語によって命名されたものと思われます。そして、そこからさらに、それと形の似た草花へと連想が及んで、後にはもっぱらこちらを指す名称として用いられるようになったと考えるのがよいでしょう。

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*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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「蒲公英(たんぽぽ)」の話 -2-
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この草花は、古くからタンポポと呼ばれていたわけではありません。

918年ごろに成立した平安時代の漢方薬辞書『本草和名』には、中国の薬物書『本草綱目』などに出てくる薬物の「和名」(日本名)が収録されてあります。左の画像は、その古写本にもとづいて寛政八年(1796)に出版された江戸期の刊本のコピー。ここには、この植物の漢名を「蒲公草」として掲げ、そこに次の二つの和名が万葉仮名で示されています。

 和名 布知奈 一名 多奈

この記事から、平安期にはタンポポが「ふぢな」および「たな」の和名で呼ばれていたことが知られます。

タンポポの名が文献に登場する比較的早い例は、室町時代中期の頃に編まれた文明本『節用集』のタ部草木門「蒲幺草」に見ることができ、ここに「タンホホ」の読み仮名が施されています。

ところで、タンポポの名が鼓を打つ音から来たらしいことについては、すでに前回に触れましたが、その命名については、鼓そのものがすでに「たんぽぽ」の別名で呼ばれていて、この植物がその形に似ているところから、その名を借用してこう呼んだと見るべきではないか、私はそのように考えています。

その根拠については、次回に述べることに。 (この項続く)
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「蒲公英(たんぽぽ)」の話 -1-
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今日のツィッターに次のような記事を書きました。

【今日の季語】蒲公英(たんぽぽ):漢字表記は漢方薬名として伝来。その形から「鼓草(つづみぐさ)」の異称があり「たんぽぽ」の名は鼓の音を表す擬音語とされる。◆たんぽぽや日はいつまでも大空に(中村汀女)

この植物が「鼓草」の異名を持っていたことは、貞門の俳人松江重頼の著した俳諧書で寛永十五年(1638)の自序のある『毛吹草』巻二「誹諧四季之詞」二月の条に次のようにあることから知られます。

 たんほゝ つゝみ草共 (たんぽぽ つづみ草とも )

その後、この記事に関して kogurenobさんから、この異名は草の形から来たものかというお尋ねがあったので、花の形を丸い鼓面に見立てたものではないかなどとお答えしたところ、今度は hiroxxxさんから、この花の茎の両端を細かく裂くと、そり返って鼓のような形になるからと言われている旨のご指摘を頂きました。

早速ネットで集めた情報によれば、その形状に関する解釈には少なくとも次の二つがあります。

1)「その蕾の形が鼓に似てみえるところから」(金田一春彦:『ことばの歳時記』4月4日 )

2)「茎を水に入れると、鼓の形になるところから」(柳田國男:『方言と昔』)

大勢としてはどうやら2)の説が支持されているようですが、この点はさて置くとしても、「たんぽぽ」の名のいわれについては、鼓を叩く音から来たものであることはまちがいないと見てよいでしょう。 (この項続く)

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*撮影機材:R-D1+Travenar 90mm f2.8
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日本語
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街の花
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毎年、隣町の国立市駅前大通りの桜を見に行くのを恒例にしています。今年は遅めの花見になりましたが、昨日の午後にそれを果たすべく、家内と車で出かけてきました。

駅前から一直線に伸びた通りをしばらく行くとスロープ式の横断歩道橋があり、そこが花を一望するのに絶好の場所。幸い平日だったこともあって、ほとんど人のいない状態で高みの見物を楽しむことができました。

一つだけ残念なのは、以前にあった特徴ある三角屋根駅舎が改築によって撤去されてしまったこと。それが遠景となって写真を引き締めてくれたのが、のっぺりとした何の面白みもない駅舎に間もなく取って替わられようとしています。

駅舎保存の動きもあったようですが、それも叶わなかったと聞きました。日本の至る所で、このような古建築への浸食がじりじりと進んでいます。やがてはどうなることでしょうか。

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*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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花写真
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花それぞれに
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徒歩で5分ほどの公園にあるシダレザクラがそろそろ見頃かと、昨日の朝の散歩の折に見に行ったところ、ソメイヨシノはすでに花の盛りを過ぎて花片が散り敷いていましたが、お目当ての方は満開には少し早く、蕾がまだ枝に残っていました。数日したらまた行ってみよう。

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*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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花写真
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花の雨
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昨日は元勤務校で名誉教授称号の授与式があり、その帰途に寄り道をして九段周辺の花見を楽しんできました。

生憎の雨でしたが、混雑を避けるにはそれがかえってもっけの幸い、めっけもの。とは言え、やはりけっこうな人出ではありましたが、ちょうど満開の時期を迎えた木々が雨を湛えたお堀に映えた景観は見事でした。

そんな散策の間に傘の中から撮影した画像をお目にかけます。

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*撮影機材:RICOH GR-DIGITALⅡ 28mm f2.4
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花写真
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御衣黄(ぎょいこう)
御衣黄、円山

本日の画像は、旧ブログに掲載した「いわき四吟」連句の連衆の一人で、禿山氏こと、札幌在住の佐藤氏の提供によるもの。一昨年の春に市内の円山公園で撮影されたとのことです。

写真では花が緑がかって見えますが、そこに黄色も混じっているところから標題のような名が生まれたのでしょう。ネット植物図鑑によれば、このような色になるのは花弁に葉緑素があるからだそうです。何にしても葉と見紛うような色をしたサクラというのはまことに珍しい。

ところで、上記のメールによる連句興行はまもなく通巻五巻目が始まろうとしているところですが、その時にあたって、禿山氏はにわかに入院を余儀なくされる運びとなり、このたびは一座に連なることが叶わなくなりました。

まことに残り多いことですが、どうか病に負けることなく、本復の時が必ず訪れ来ることを信じて日々をお過ごし下さい。東京の空からご健勝を祈ってます。

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花写真
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【今日の季語】のことども
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昨年末にツィッターを始めました。
継続的に何かをつぶやきたいと思ってあれこれ考えた末にふと思いついたのは《ツィッター歳時記》というアイデア。
早速12月29日から標題のタイトルで、ツィッターの一回分コメント字数(140字)に収まる程度の短い記事を書き始めました。そのサンプルとして、本日の分をご披露いたします。

今日の季語】初花(はつはな):「初桜」と同義。その春に初めて花を付けた桜。見事な枝ぶりの大樹に混じって懸命に花を開かせる初々しい姿には次の春への夢もふくらむ。◆初花を木の吐く息と思ひけり(本宮鼎三) #jhaiku #kigo

*最後の#マークは「ハッシュタグ」と呼ばれる分類記号で、それが何に関する事柄なのかを分類するために使用するもの。ツィッター上での検索に役立つ。

幸いこれをリツィートして下さるフォロワーの方々も増え始め、毎朝5時前後にこれをアップすると、次々に各方面に記事のコピーを拡散して頂けるまでになりました。また、その季語を用いて詠んだ俳句を、毎日多くの方々が披露して下さいます。時にはそれに句を付けてお返しする。これもまことに楽しい。それらのことどもが励みになって、今日まで一日も休むことなしに続いています。

昨日、そのフォロワーのおひとりから、これをブログにまとめてはどうかというリクエストを頂きましたので、ある程度の分量が溜まったら、今後少しずつそのまとめを発表して行きたいと思います。

本日の桜の画像は、朝の散歩の折に近所の公園で撮影したもの。ソメイヨシノは満開、シダレザクラはもう少し先のことになります。

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*撮影機材:R-D1+Travenar 90mm f2.8
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季語
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「最たる(もの)」という表現
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標題の言い回しは《程度がもっともはなはだしいさま》を言うのに用いられます。

この形は、「堂々たる」「毅然たる」などの例に見るように、いわゆるタリ活用形容動詞の連体法にあたるもので、漢語を語幹とする点に特徴があります。

「最たる」の「最」もまた一字漢語ですから、音読み「さい」が期待されます。ところが、最近のブログなどには次のような使用例をよく見かけます。

・失敗の最もたるものは、何ひとつそれを自覚しないことである。

・WAVEの翠石星とか最もたる例だと思うんです。

・株式投資は、価値判断の最もたるものだけど、・・・


いずれも「最」に続けて「も」を送っているので、いずれも「最たる」を「もっともたる」の形で受容していることが知られます。

さらに次のは、そのあからさまな仮名書き例。

・独創は天才のもっともたる証拠である。

・自己同一化批判をする人間はそのもっともたる部分の根拠を(略


「~たる」の形は文語的表現を志向する文脈に用いられます。上掲諸例にもそういう匂いが漂っていますが、「もっともたる」と来られたのでは、せっかく入れた肩の力が、どどっと抜けてしまいますね。

今朝は久しぶりに城尾ファミリーに遭遇。初めは一匹だったのが、ご機嫌を伺っている間に、その気配を察知して他の二匹が姿を見せました。こういう猫の感知能力に出会うたびに、いつも不思議に思います。なにはさて、諸猫、達者でなにより。

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*撮影機材 :PENTAX K-7 +SIGMA17-70mm f2.8-4.5 DC MACRO
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日本語
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ようこそ新しいブログへ
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今日から四月。
公務を離れて自由の身になる、私にとって記念すべき最初の日を迎えました。
これからは、したいことを何にも妨げられずにできる・・・。
その思いが心を明るくしてくれます。

その手はじめとして、新しいブログの更新を始めたのですが、これはなんとしたこと、しばらく放置していた報いを受けて、画像のアップロードがままなりませぬ(笑)

とりあえず文字データのみを送信して、後から画像を添付することにしますので、お許しを。まずは新ブログ移転のご挨拶まで。

【追記】画像が送信できなかったのは、縮小前のファイルをアップしようとしたのが原因でした。昨日の浅草散策の折に撮影した一件をお目にかけますので御覧ください。

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身辺雑記
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